[ai] 旭天鵬引退、年寄「大島」を襲名 | ペパーミントあいの大相撲取組結果一行メモ

[ai] 旭天鵬引退、年寄「大島」を襲名

こんにちは^ ^

ペパーミントあいです。

平成27年名古屋場所千秋楽翌日の7月27日。

前頭 旭天鵬関が正式に引退会見を開き、年寄「大島」を襲名しました。

※詳しくは、下記をご参照のこと。

旭天鵬「モンゴルでの中継は幕内だけ」/一問一答
日刊スポーツ 7月28日(火)10時3分配信

 大相撲の元関脇で西前頭11枚目の旭天鵬(40=友綱)が27日、名古屋市内で現役引退を表明した。名古屋場所で3勝12敗に終わり、十両陥落が確実になり決断した。

 -幕内にこだわってきた理由は

 旭天鵬 十両はスタートラインだと思っていた。モンゴルでは、相撲中継は幕内だけ。親兄弟も見ていたし、そういう意味を込めて「幕内、幕内」というのがあった。

 -最初はモンゴルから6人で来た 

 旭 そのときは無我夢中というか、すべてのことに慣れるのに必死だったし。すごい毎日必死に、生活していた気がします。

 -一番の思い出は

 旭 やっぱりダントツで優勝(12年夏場所)ですよね。あれは自分で自分にすごいなと言っちゃうくらい、すごい出来事だった。してよかった、と思います。

 -思い出の取組は

 旭 やっぱり優勝決定戦。土俵上で泣いたのはあれが初めて。あれで、いろんな人に知ってもらったし。巡業先やどこにいっても「同じ年なんですよ」「関取を見て頑張れるようになりました」とか、そういう声をいっぱい聞いたので。優勝は、僕を成長させてくれた。

 -一番うれしい記録は

 旭 夏場所で幕内通算出場1位になったというのが、自分の中では目標だったし。幕内にこだわっていたので、それが一番ですね。

引用元 : 旭天鵬「モンゴルでの中継は幕内だけ」/一問一答 (日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース

若貴ブームの時に大相撲を見始めたわたしにとって、旭天鵬関は、若貴ブーム後期に出てきた方でした。

今でこそ、3横綱が全員モンゴル出身で、モンゴル出身力士が当たり前のように活躍されていますが、その第1号、先駆者だったのが、旭天鵬関、旭鷲山関はじめ、モンゴルから大島部屋に入門した6人の若者だったんですよねぇ。

先に出世したのが旭鷲山関だったので、当時は旭鷲山関の印象が強く、旭天鵬関はやや影に隠れていた記憶がありますが、今では他にない強烈な存在感ですね。

こんなに長く現役を続けられるなんて、当時は想像もしていませんでした!

40歳で幕内を維持なんて、当時は考えられなかったですもん。

今後もそう出てくるか分かりません。

長く見てきた力士さんの引退は寂しいです。

わたしが相撲を見始めた頃の力士さんの引退も寂しい。

でも、終わりの時って、ある日突然やってくるものなのだなと思いました。

ここ最近の旭天鵬関って、前半絶好調でも後半で疲れが出たり、逆に前半絶不調で「そろそろ引退かな」と思うくらいでも、後半別人のように盛り返して、何だかんだで幕内にい続けた方なので、今回もきっとそうだろうと思っていたのですが……

正直、旭天鵬関はそれなりの衰えはあるものの、十両からもう一度幕内に戻ってくる、もしくは、十両の地位を当面維持できるだけの力はあるんじゃないかとわたしには思えました。

でも、幕内最高優勝を果たした人間のプライドとして、十両に落ちてまでは取らないというのも、立派な決断だと思います!

もっと他に言いたいこともあるし、こみ上げる思いもあるのですが、上手く言葉になりません。

なのでシンプルですが、お疲れ様でした&ありがとうございますと言って締めたいです。

最後に、白鵬関の優勝パレードの騎手を務められたお写真を。

中日プラスさんがUPして下さっていました。

あと、一部角界関係者の方のコメントも。

本当に長い間お疲れ様でした&ありがとうございます!

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